ラジギール(王舎城) ラジギールはお釈迦様の時代の二大国マガダ国の首都だった場所です。 当時の名はラージャグリハ(王舎城)、仏教伝道の拠点となりました。 お釈迦様や弟子たちの足跡が数多く残っています。 2012年12月訪問 写真は霊鷲山の日の出 ![]()
この遺跡の入口では、なぜか民間療法のお薬が売っていました。
山を下って盆地のようになった場所がラジギール。かっての王舎城(ラージャグリハ)です。 かっての王都を訪れる外国人は今は仏教徒くらいでしょう。 ![]()
竹林精舎 ![]()
![]()
温泉精舎
ヒッパラの石の家 温泉精舎を抜けて丘を登って行くと、ヒッパラの石の家という変わった建造物があります。 ![]()
霊鷲山 ラジギールのハイライトは霊鷲山(りょうじゅせん)でしょう。 私たちも早起きして山道を登り、頂上で日の出を待ちました。 写真は頂上の香室跡。お釈迦様がここで生活し、説法されたといいます。 ![]()
香堂には金箔が貼られています。おそらくタイの仏教徒が捧げたのでしょう。 日が高くなったので山を下りることにしました。 頂上からはビンビサーラ王の道が良く見えます(左下)。 少し降りたところに7世紀の僧院跡がありました(右下)。 旗はチベットの仏教徒が捧げたもの。世界各地の仏教徒が訪れているようです。
暗い中登って来た時は気が付きませんでしたが、見どころが多い。 霊鷲山には岩穴が多く、ここで僧達が修行したと言われています。 左下は舎利弗石窟。右下は阿難石窟。中央は阿難石窟周辺の景色です。 舎利弗(サーリプッタ)は十大弟子の中でも智慧第一と言われる一番弟子。 阿難(アーナンダ)はお釈迦様の秘書役を長年務め、多聞第一と言われる弟子です。 石窟にも金箔が貼られていました。
左下 ビンビサーラ王が馬車を降りたと言われる場所 下中央 デーヴァダッタが落とした岩で負傷したお釈迦様が運ばれた地に建つ僧院跡 右下 寄進されたマンゴー園。ここまで来ると、もう山の麓です。
ビンビサーラ王が囚われていた牢獄跡
ジーバカの果樹園
実は、デーヴァダッタは厳しい戒律を主張して分派しただけだとの説が近時は有力です。 お釈迦様の神格化に併せて極悪人に仕立てられてしまったのではないかとのこと。 しかし、ビンビサーラ王がアジャセ王子に殺されたこと、 その後、アジャセ王がお釈迦様に帰依していたことは間違いないようです。 アジャセ王の仏塔 アジャセ王のお釈迦様への帰依を示す仏塔も残っています。
七葉窟
ラジギールにはお釈迦様や弟子達そして王族の人々の足跡が本当に多く残されています。 舎利弗がお釈迦様に弟子入りするのも、王舎城を托鉢するアッサジの姿を見たのがきっかけですし、 舎利弗の親友、目連も王舎城で弟子入りし、そして王舎城で異教徒に殺されています。 生誕の地(ルンビニ) 故郷(カピラヴァストゥ) 成道の地(ブッダ・ガヤー) 初転法輪(サールナート) 大学(ナーランダ) 伝道の地・祇園精舎・舎衛城(サヘート・マヘート)と奇跡の地(サンカーシャ) 釈尊最後の旅(ヴァイシャーリー~クシナガラ) 南アジアの遺跡に戻る ![]() 参考文献 「仏陀誕生の地 ルンビニは招く」(パサンダ・ビダリ著) 「ブッダの生涯」(新潮社とんぼの本 小林正典・三友量順著) 「釈迦と十大弟子」(新潮社とんぼの本 西村公朝著) 「ブッダの生涯」(創元社「知の再発見」双書 ジャン・ボワスリエ著) 「原始仏教」(NHKブックス 中村元著) 「原始仏典」(ちくま学芸文庫 中村元著) 「『ブッダの肉声』に生き方を問う」(小学館101新書 中野東禅著) 基本的には添乗員さんの説明を元にまとめています。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||