ナーランダ

ラージギルの北約17キロの地にあるナーランダ。
お釈迦様の一番弟子舎利弗(サーリプッタ)の故郷です。
玄奘も学んだ当時世界最大級の大学跡が発掘・修復されています。
2012年12月訪問

写真は寺院跡から見た僧院方向


ラージギルから近いナーランダは十大弟子の一人である舎利弗(サーリープッタ)の故郷であり、亡くなった場所でもあります。舎利弗はお釈迦様の一番弟子と言って良い存在ですが、お釈迦様より早く、故郷のこの地で亡くなりました。お釈迦様も何回か、この地を訪れているそうですが、そのころは小さな村だったようです。

村が変貌するのは、紀元後5世紀に仏教大学が創建されてから。ナーランダは12世紀にイスラムに破壊されるまで全アジアの仏教研究・教学の中心地でした。7世紀に玄奘が学んだころは、1万人の学生と3000人の教師がいたそうです。入学するのも大変厳しかったと言われています。


遺跡公園の真ん中あたりに地図がありました。



ナーランダの見どころは大きく3つに分けられます。
1つは建ち並ぶ僧院跡。この地図で手前にずらりと並ぶのが僧院跡です。
1つは舎利弗のストゥーパ。光ってしまって分かりにくいですが写真の左上部にあります。
そして、寺院。僧院の上に3つ大きな寺院並んでいます。特に右上の寺院は保存状態が良いです。


僧院跡

遺跡入口を入ってすぐには僧院跡が並びます。
左下の写真は入口付近。建ち並ぶ僧院がまるで城壁のようです。
イスラム教徒がここを攻めたのも城壁と間違えたからとも言われています。
右下の写真は入ってすぐの場所にある階段。結構、登ったり下りたりが多い遺跡です。

   


当時の僧院というのは、今なら寄宿舎付き大学。基本的な構造は、中央に中庭のような場所があり、そこで講義が行われます。
先生が講義の時に座る一段高い場所も残っていましたし、井戸の跡もありました(左下)。そして、中庭をぐるりと生徒達の個室が並びます。個室には備え付けのベッドもあったようです(右下)。

   


学生だけでも1万人が暮らしていたというのですから、街のようなものです。遺跡には多くの学生達の食事を作る台所も残っていました。学食みたいのがあったんでしょうか・・・。

井戸や穀物倉庫が残る場所(左下)。倉庫管理者の僧がいた場所とかも残っていて面白い。僧院は5世紀・7世紀・9世紀と増築が重ねられています。建物内部の暗さ対策として雲母を張って反射させる等の工夫もなされていました。増築が重ねられた僧院は、ちょっと迷路のようです。僧院の奥に舎利弗のストゥーパが見えました・・・・完全に逆光になっていますが(右下)・・・。

   


玄奘三蔵の瞑想部屋と言われる瞑想をするための小部屋が付いた部屋(左下)。
図書館跡は壁が厚い。イスラムによって3か月に渡って蔵書が焼かれたと言います(下中央)。
排水の設備もばっちり(右下)。

     



舎利弗のストゥーパ



僧院の次は舎利弗のストゥーパを見学しました。このストゥーパ、かっては登れたということですし、ストゥーパ近くの多くの奉納塔のそばまで行けたらしいのですが、現在は登ることはおろか、近くに行くこともできなくなっています。逆光ぎみなので、回り込むことになりました。

ここで、おまけです。翌日行ったパトナの公園に展示されていたナーランダの写真。
左下は発掘が始まった当時の様子。舎利弗のストゥーパが小山のように残るだけです。
ツアーに30年前にナーランダに来たという人がいましたが、当時は単なる丘だったのだとか。
右下は逆光でなければこう見えたであろう舎利弗のストゥーパと奉納塔の姿。

   


ぐるりと廻りこんで来ました。こっちからだと良く見えます。



舎利弗のストゥーパは舎利弗を祀るために死後まもなく建てられたのが最初で、それが徐々に増築されて大きくなっていったと考えられます。現在の舎利弗のストゥーパは片方は緩やかな傾斜なのに、片方はまるで切り取られたような不思議な形。なんで、このような変わった形なのかと聞いてみたところ、本来は緩やかな傾斜のストゥーパだったものを発掘調査のため半分を削って、そのままにしているのだそうです。それじゃあ奉納塔はなんで、あの位置にあるの、と尋ねたら、本来の場所から移したんだそうです。なんだかなあ。昔の発掘・調査は何でもアリというか、乱暴過ぎるというか、実は壊しているというか・・・。

奉納塔のうち古いものは紀元前1世紀のものもあるそうです。
添乗員さんのお話では、奉納塔に彫られた仏像から2世紀くらいのものも認められるということでした。

ということは、5世紀に大学ができる前に、既にこの地には立派な舎利弗のストゥーパがあって人々が奉納塔を捧げていたというわけです。

大学がこの地に建てられたのは、お釈迦様の弟子の中でも智慧第一と言われた舎利弗にあやかろう・・という考えによるんじゃないんでしょうか。
学問には、やっぱり智慧が大事ですよね。

舎利弗のストゥーパの周囲の小さなストゥーパは奉納塔だけでなく、この地で学業半ばで亡くなった学生たちの墓もあるのだそうです。

当時、学問を究めるというのは、命がけのことだったのでしょう。
何かあっても、お釈迦様の一番弟子のそばで眠れるという覚悟で、当時の学生は勉学に勤しんだのかもしれません。



寺院跡



最後に寺院跡を見学しました。寺院跡といっても、仏像が残っているわけでもなく、丘のような場所に、壁などが残っている、といった状態です。
しかし、寺院周囲の奉納塔も修理・復元されていましたし(レプリカではないとのことでしたが・・)、寺院の中に綺麗なレリーフの残る柱も残っていました。なにより、寺院の上に登ると遺跡全体を見渡すことができます。

   


上の写真の寺院周辺に置かれていた奉納塔に刻まれたお釈迦様の一生(左下)。
近くの別の小さな寺院跡には千体仏が残っていました(右下)。

   



ナーランダの遺跡で発掘されているのは、実はごく一部と言われています。
現在の村の施設が色々と建ってしまっているので、十分な発掘ができないんだとか。
それでも十分大きな遺跡で、かなり見ごたえがあります。


生誕の地(ルンビニ)       故郷(カピラヴァストゥ)
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伝道の地・王舎城(ラジギール)
伝道の地・祇園精舎・舎衛城(サヘート・マヘート)と奇跡の地(サンカーシャ)
釈尊最後の旅(ヴァイシャーリー〜クシナガラ)


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参考文献

「仏陀誕生の地 ルンビニは招く」(パサンダ・ビダリ著)
「ブッダの生涯」(新潮社とんぼの本 小林正典・三友量順著)
「釈迦と十大弟子」(新潮社とんぼの本 西村公朝著)
「ブッダの生涯」(創元社「知の再発見」双書 ジャン・ボワスリエ著)
「原始仏教」(NHKブックス 中村元著)
「原始仏典」(ちくま学芸文庫 中村元著)
「『ブッダの肉声』に生き方を問う」(小学館101新書 中野東禅著)


基本的には添乗員さんの説明を元にまとめています。